UCLAのモデル(ミンツ・荒川モデル)
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「気候モデル」の記事における「UCLAのモデル(ミンツ・荒川モデル)」の解説
二つ目のグループは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のミンツ(Yale Mintz)を中心としたものだった。彼はスマゴリンスキーと同様に気象庁にいた荒川昭夫をUCLAに招聘し、1961年から気候モデルの研究を進めて1963年にはUCLAの大循環モデルを完成させた。彼らの大循環モデルはUCLAの卒業生たちがそれを持って各地の研究所に移ったため、その後の世界の大循環モデルに大きな影響を及ぼした。 1956年に行ったフィリップスの数値モデル計算は、計算不安定のために約1か月以上先に計算を進めることができなかった。荒川昭夫は1966年に新たな差分スキームを考案することによってこれを解決した。また彼はシューバート(Wayne Howard Schubert)と協力して、小さなスケールの積雲対流が集まった雲の効果を全球規模で扱うパラメタリゼーションの手法を開発した。
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