EDVAC
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EDVAC(エドバック、英: Electronic Discrete Variable Automatic Computerの略称)は、最初期の電子計算機(コンピュータ)の一つであった。その前身のENIACとは異なり、十進数ではなく二進数を使用しており、プログラム内蔵方式コンピュータとして設計された。
- ^ a b c d Wilkes, M. V. (1956). Automatic Digital Computers. New York: John Wiley & Sons. pp. 305 pages. QA76.W5 1956
- ^ a b "First Draft of a Report on the EDVAC" (PDF) by John von Neumann, Contract No.W-670-ORD-4926, 米陸軍兵站部とペンシルベニア大学との間の契約。ペンシルベニア大学電気工学科ムーア校、1945年6月30日。次の書籍にもある。Stern, Nancy (1981). From ENIAC to UNIVAC: An Appraisal of the Eckert–Mauchly Computers. Digital Press
- 1 EDVACとは
- 2 EDVACの概要
- 3 関連項目
EDVAC
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ENIACの建造を開始するため、設計は1944年に凍結された。エッカートとモークリーはすでにこのマシンの限界を認識しており、EDVACと呼ばれる2台目のコンピュータの計画を開始した。1945年1月までに、彼らはこのプログラム内蔵方式のコンピュータを作る契約を獲得した。エッカートは、プログラムとデータの両方を格納するための水銀遅延線メモリを提案した。その年の後半、数学者のジョン・フォン・ノイマンがこのプロジェクトについて学び、工学的な議論に参加した。フォン・ノイマンは、EDVACに関する内部文書を作成した。 「ノイマン型アーキテクチャ」という用語は、フォン・ノイマンが作成した1945年6月30日付けの文書「EDVACに関する報告書の第一草稿」から生まれた。この文書を受け取ったゴールドスタインは、エッカートとモークリーへの言及を削除し、フォン・ノイマンの名前だけが書かれた状態でこの文書を関係者へ配布した(この行動は、後に物議を醸すことになる)。この文書により、そのアイデアが、当時はまだ非常に少なかった世界のコンピュータ設計者の間で広く知られるようになった。 ゴールドスタインが第一草稿からエッカートとモークリーへの言及を削除したことで、彼らは不利益を被った。ENIACの特許アメリカ合衆国特許第3,120,606号は1947年6月26日に出願され、1964年2月4日に付与されたが、その後の裁判(英語版)により1973年に無効とされた。その原因の1つとして、第一草稿でEDVACの設計詳細(ENIACに関する事項を含む)が一般公開されていたことが挙げられている。
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EDVAC
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「ハーマン・ゴールドスタイン」の記事における「EDVAC」の解説
ENIACが戦争の遂行に貢献しなかったことには失望したにもかかわらず、電子コンピュータの開発に対する陸軍の関心は依然として強かった。ENIACの完成前に、陸軍とムーアスクールはEDVACと呼ばれる後継機を建設する契約を行った。ゴールドスタイン、モークリー、プレスパー・エッカート、アーサー・バークスは、ENIACの欠陥を修正することを期待して、新しいマシンの開発を研究し始めた。
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