B4M
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/20 17:03 UTC 版)
一三式艦上攻撃機以降、良好な性能を持つ艦上攻撃機が開発されなくなったことを受け、海軍は九試艦攻の開発を決定。空廠で開発を進めるとともに1934年(昭和9年)2月に三菱と中島に競争試作を命じた。これを受けた三菱は、松原元技師を設計主務者として設計を開始し、1934年9月に試作機1機が完成、25日に初飛行を行った。社内名称は「カ-12」。機体はオーソドックスな金属製骨組み羽布張りの複葉機として開発期間を短縮したが、操作性の悪さや主翼の剛性不足といった欠陥があり、不採用となった。
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