538年(戊午)説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 17:57 UTC 版)
『上宮聖徳法王帝説』(824年以降の成立)や『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(724年)には、欽明天皇御代の「戊午年」に百済の聖明王から仏教が伝来したとある。しかし書紀での欽明天皇治世(540年 - 571年)には戊午の干支年が存在しないため、欽明以前で最も近い戊午年である538年(書紀によれば宣化天皇3年)が有力[要出典]とする説があった。 これら二書は書紀以前の作為のない典拠であると思われていたことも含めて説の支持理由とされていた[いつ?]が、その後の研究でこれら二書の記述に淡海三船によって後世に追贈された歴代天皇の漢風諡号が含まれていることが指摘され[要出典]、書紀編纂以降に成立していたことが明らかとなった。そのため作為のない典拠であるとは断言できなくなり、したがって論拠としては弱くなってしまった。
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