500円通行時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 15:55 UTC 版)
「フリーウェイクラブ」の記事における「500円通行時代」の解説
1987年9月10日、首都高速道路の通行料金が500円(普通車。以下断り無い場合はすべて普通車料金である)から600円に値上げされた。これに反発した金属加工会社社長の和合秀典が同日、「渋滞も解決せずに一挙20%値上げは納得がいかない」と主張。自分の名刺を渡して500円で料金所を強硬に通り抜けたのが事の発端となった。 その後、「公団側の経営努力および値上げに納得できる説明があるまで旧料金で通行します」との文書を作成。500円通行を繰り返した。これが後に「宣言書」の元となる。 同年12月5日。首都高速道路公団は、理事長名で警告書を送付。 1988年、和合秀典はこれに反発。約30名の同志を募り「フリーウェイクラブ」を結成。そのまま会長となり抗議の500円通行を組織的に行う。 1992年8月27日、値上げ分の通行料金に対する債務不存在確認訴訟の、棄却判決を受ける(東京地方裁判所)。その後控訴、上告ののち最高裁判所で棄却され、判例となる。 1993年には、道路整備特別措置法(25条、当時)を適用し、会長の預金に対して強制徴収が行われる。この際、同法に基づき2倍の割増金が加算され、合計して3倍の料金を徴収されている。
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