3人の将軍、3つの戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:52 UTC 版)
「シケリア遠征」の記事における「3人の将軍、3つの戦略」の解説
この遠征を承認した最初の民会において、ニキアス、アルキビアデス、ラマコスの3人が司令官として選ばれていた。この決定は2回目の民会でも変更されなかった。アルキビアデスはこの遠征の提案者であり、「戦争派」の指導者であった。ニキアスはアルキビアデスに批判的で「和平派」の指導者であった。一方ラマコスは50歳の経験をつんだ軍人であり、喜劇作家アリストパネスの著作『アカルナイの人々』の中では、大ぼら吹きで、永久に貧しい戦士であると風刺されている。彼らの選出の理由は記録されていないが、民会は攻撃的な若い指導者と高齢の保守主義者のバランスを取り、さらにその軍隊経験からラマコスが加えられたものと推定される。 実際に、3人の将軍はそれぞれ異なった戦略を提案した。ニキアスは遠征の地域を限定し、セリヌスに艦隊を向けてセリヌスとセゲスタの問題を解決しようと提案した。その後、セゲスタが遠征の全費用を負担しない限り、シケリア各地で「旗を見せて」アテナイに帰還する。アルキビアデスは外交手段を用いてシケリアに同盟都市を得て、続いてセリヌスとシュラクサイを攻撃することを提案した。ラマコスは奇襲効果を期待して、シュラクサイを直接攻撃し、街の外で野戦を行うことを提案した。直ちに攻撃すれば、シュラクサイの防衛準備は不十分であり、早期に降伏する可能性がある。しかし最終的には、ラマコスはアルキビアデスの案を支持した。
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