2010年〜2011年 再度コスワースへ
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「ウィリアムズF1」の記事における「2010年〜2011年 再度コスワースへ」の解説
2010年に投入したマシンFW32ではエンジンをトヨタからコスワースにスイッチした。また、ドライバーラインナップを一新し、ロズベルグとのトレードでブラウンGPからルーベンス・バリチェロを起用した。中嶋の後任にはテストドライバーから昇格したニコ・ヒュルケンベルグとなった。テスト・ドライバーにはバルテリ・ボッタスと新しく契約した。ブラジルGPにてヒュルケンベルグがチームにとって5年ぶり、コスワースエンジンにとって11年ぶりとなるポールポジションを記録した。しかし最終戦アブダビGP終了後の11月15日に、ヒュルケンベルグがチームを離脱し、同時にバリチェロとの契約を翌年も継続することが発表された。 2008年末からの金融危機が原因でRBS(ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド)が、オランダの家電機器メーカーのフィリップスが、それぞれスポンサーを降りた。 2011年シーズンはバリチェロが残留する一方で、ヒュルケンベルグの後任としてベネズエラ人ドライバーのパストール・マルドナドを起用することを発表し、これに伴いPDVSA(ベネズエラ国営石油会社)などベネズエラ資本の複数のスポンサーを獲得。しかしそれでもRBS・フィリップスらの離脱による収入減少を補いきれない(一説には43%もの減収となったとされる)ため、チームはレーシングチームとしては異例となる自社の株式公開を計画し、2011年3月2日にフランクフルト証券取引所に株式を上場することを発表した。フランク・ウィリアムズは株式の過半数を保有し続けるものの、主にパトリック・ヘッドらの所有株を中心に、発行済株式の約27%が市場に放出される。 この年は自社製超コンパクトギアボックス(十分な信頼性は確保されていた)以外に目立った体制変更はなかったが、5ポイント・コンストラクターズランキング9位という2006年以上の不振のシーズンとなった(2006年当時のポイントシステムに換算するとこの年のウィリアムズはノーポイントである)。このためテクニカルディレクターのサム・マイケルを始めとする首脳陣が責任を取る形でチームを離脱。またフランク・ウィリアムズと共に同チームを長年率いたパトリック・ヘッドも関連会社の運営に専念することになりF1の現場を離れた。さらに過去5年にわたりメインスポンサーを務めたAT&Tが2011年末をもって降りた。
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