2代目館長、米本重信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 02:29 UTC 版)
2代目の館長兼理事となったのは、信吾の息子、米本重信である。重信は信吾から引き継ぎ、1947年(昭和22年)久賀の特定郵便局長となったのち、郵便局舎を新設し、これまで局舎として使用していた自宅の長屋門に吉植庄亮記念館を併設した。重信は歌人としても活動し、吉植庄亮が1922年(大正11年)に創刊した歌誌「橄欖」に参加した。当時重信は旧制佐原中学校の生徒だった。昭和7年には「橄欖」同人、その後運営委員や選者として活動し、顧問にもなった。また重信は多古町教育委員長も務めた。1979年(昭和54年)の秋の叙勲で勲5等双光旭日章を受章。1997年(平成9年)7月8日没。
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