1955年から1979年とは? わかりやすく解説

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1955年から1979年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 04:30 UTC 版)

エリザベス・テイラー」の記事における「1955年から1979年」の解説

ジョージ・スティーヴンス監督作品で、ロック・ハドソンジェームズ・ディーン共演した大作ジャイアンツ』(1956年)で、テイラーハドソン演じ富豪ジョーダンの妻レズリーという、シリアス存在感のある役どころ得た。そしてテイラーは、モンゴメリー・クリフト共演した愛情の花咲く樹』(1957年)で演じたスザンナ・ドレイク役で、初めアカデミー主演女優賞ノミネートされた。以降テイラーは、ポール・ニューマン共演した熱いトタン屋根の猫』(1958年)、モンゴメリー・クリフトキャサリン・ヘプバーンマーセデス・マッケンブリッジ共演した去年の夏 突然に』(1959年)、『バターフィールド8』(1960年)と4年連続アカデミー主演女優賞ノミネートされ最後の『バターフィールド8』でアカデミー主演女優賞獲得した。『バターフィールド8』は当時テイラーの夫だったエディ・フィッシャー共演した作品で、テイラー自身のこと18年間にわたる「MGM家財」と言わしめた、MGMとの契約における最後作品となった。 『熱いトタン屋根の猫』『去年の夏 突然に』の大ヒットによって、テイラー興行成績上位10位に入る俳優となり、その後10年わたってほぼ毎年上位10位にランクインした。1960年テイラーは、20世紀フォックス100万ドルで『クレオパトラ』(1963年)の出演契約を結び、当時最高額出演料を得る女優となった最終的にテイラーはこのクレオパトラ役で700ドルを手にしている。テイラーはこの『クレオパトラ』の撮影中に共演者マーク・アントニー役のリチャード・バートン恋愛関係になった両者ともに結婚していた不倫関係であり、タブロイド紙大きく取り上げスキャンダルとなってしまった。 テイラー二度目アカデミー主演女優賞もたらしたのは、当時の夫だったリチャード・バートン共演したバージニア・ウルフなんかこわくない』(1966年)のマーサ役だった。この映画テイラーにとってもバートンにとっても大きな転機となった作品で、ウォーカーは「二人キャリアのなかで、もっともやりがいがある作品であり、もっとも手ごわかった作品」だと評している。テイラーはこの作品を「本物演技」を試すいい機会だととらえ、さらに、自身憧れ女優ヴィヴィアン・リー演じてきた「悲劇のヒロイン」と張り合うチャンスだと考えたしかしながらテイラーは、自身実年齢より20歳以上年長マーサ役を演じるには自身外見が若すぎることを気にかけていた。テイラーは役の年齢相応見せかけるために白髪を足すなど、肉体的に声質的にもマーサに近づけようとした意図的に体重増やし過度に濃いマスカラ以外はほとんど化粧をせず、薄汚れたバッグを持つという出で立ち役作り行った(pp281–282)。 テイラーその5番目、6番目の夫リチャード・バートンとは、『予期せぬ出来事』(1963年)、『いそしぎ』(1965年)、『じゃじゃ馬ならし』(1967年)など、10年間で6本の映画共演している。1967年までに二人共演作品200ドル上の興行成績をあげた。『じゃじゃ馬ならし』に続いてファウスト悪のたのしみ (en:Doctor Faustus)』(1967年)、『危険な旅路 (en:The Comedians)』(1967年)、『夕なぎ』で、テイラーバートン共演しているが、いずれも興行成績は振るわなかった。 テイラージョン・ヒューストン監督作品禁じられた情事の森』(1967年)でマーロン・ブランド共演し翌年にはミア・ファローと『秘密の儀式』(1968年)で共演した1960年代終わりにはテイラー集客力落ちていき、出演作興行成績大幅に下がってしまった。ウォーレン・ベイティ共演した1970年の『この愛にすべてを』も興行的に失敗作となっている。 加齢とともにか細く柔軟性のない声」しか出なくなったテイラーだったが、1970年代多く映画作品出演するスターであり続けたマイケル・ケイン共演した『ある愛のすべて (en:X, Y and Zee)』(1972年)、ヘンリー・フォンダ共演した『別離』1973年)、ジェーン・フォンダエヴァ・ガードナー共演した青い鳥 (en:The Blue Bird)』(1976年)、夫リチャード・バートン共演した『リトル・ナイト・ミュージック (en:A Little Night Music)』(1977年)などに出演し1973年にはテレビ映画の『離婚・男の場合 離婚・女の場合 (en:Divorce His, Divorce Hers)』にも出演している。

※この「1955年から1979年」の解説は、「エリザベス・テイラー」の解説の一部です。
「1955年から1979年」を含む「エリザベス・テイラー」の記事については、「エリザベス・テイラー」の概要を参照ください。

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