1943年8月-12月 宗谷海峡
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「第十五号駆潜艇」の記事における「1943年8月-12月 宗谷海峡」の解説
1943年8月20日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれて大湊警備府に復帰。軍隊区分宗谷防備部隊に配置。20日現在、横須賀で修理中。28日、船団を護衛して横須賀発。30日、大湊着。31日、恵山南東沖で対潜掃蕩を実施。 9月3日、青森県尾鮫浜沖であかま丸が撃沈され、本艇は軍隊区分津軽防備部隊指揮官の指揮下で対潜掃蕩を実施。掃蕩後は室蘭へ回航し、8日室蘭着。9日、津軽防備部隊指揮官の指揮を解かれて宗谷防備部隊に復帰。同日、室蘭を出港して対潜掃蕩を実施しつつ大泊へ向かう。11日、大泊着。以後亜庭湾や宗谷海峡で哨戒、対潜掃蕩、護衛に従事。13日-15日、大泊発-哨戒-大泊着。17日-24日、大泊発-哨戒-大泊着。26日-29日、大泊発-哨戒-大泊着。 10月2日-5日、大泊発-哨戒-大泊着。7日、対潜掃蕩のため大泊を出撃。9日、中知床岬よりの方位170度、35海里の地点で発見された潜水艦の掃蕩に向かい、爆雷戦を実施。11日、宗谷岬よりの方位42度、12海里の地点で潜航中のアメリカ潜水艦ワフーの攻撃に向かい、第43号駆潜艇や第18号掃海特務艇と協同で爆雷戦を実施。同日、ワフーは二丈岩よりの方位210度、8.4海里付近で航行を停止し、撃沈が確認された。12日、大泊に帰投。13日、掃蕩を行いつつ稚内へ回航し、同日着。15日-18日、稚内発-船団護衛-大泊着。21日-23日、大泊発-哨戒-稚内着。24日-26日、稚内発-哨戒-大泊着。28日-31日、大泊発-船団護衛-稚内着。 11月2日-4日、稚内発-船団護衛-稚内着。14日-15日、稚内発-哨戒-稚内着。17日-18日、稚内発-哨戒-大泊着。20日-21日、大泊発-哨戒-大泊着。22日-23日、大泊発-哨戒-大泊着。25日-26日、大泊発-哨戒-稚内着。 12月2日-3日、稚内発-哨戒-稚内着。6日-7日、稚内発-哨戒-大泊着。9日-12日、大泊発-哨戒-稚内着。15日-16日、稚内発-哨戒-稚内着。18日-19日、稚内発-哨戒-稚内着。
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