1904年以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 22:31 UTC 版)
今日ドナウシュタットとされている地域における歴史的な出来事は、カール大公とナポレオン・ボナパルトとの間で1809年に行われた、アスペルン・エスリンクの戦いである。この戦いはナポレオンが直接指揮する軍隊が敗北した数少ない戦いの一つである。「アスペルンの獅子像」が戦いを記念して建てられた。 1785年から1821年にかけてウィーンで出版された当時人気を博した『レオポルトラウからカグランの親愛なる従兄弟に宛てたウィーン市についての手紙』という新聞のタイトルの中にドナウシュタットの構成地域である「カグラン」という文言が使われている。この新聞は、「レオポルトラウの田舎者」が方言を使って、隣接するカグランに地元の出来事についてコメントしたり、当時のウィーンの姿について風刺する体裁をとっている。 カイザーミューレンはウィーンに合併された最初の地域である。ドナウ川改修工事の前、ドナウ川の主流の南部にあったカイザーミューレンは1850年に2区レオポルトラウへ合併され、ドナウ川改修工事の後1938年まで2区の一部だった。「カイザーミューレン」の「ミューレン」とはもともと「水車小屋」をさすが、「カイザーミューレン」という地名は、ドナウ川改修工事の前に数多くこの地域にあった水車小屋の面影を残している。 ウィーン周辺のドナウ川の定期的な氾濫によって、ドナウ川沿岸地域の経済的な発展と開発は遅れていた。だが、1870年から1875年にかけて、ドナウ川改修工事が行われ、その問題は解決された。現在のドナウシュタットの区域の大半はかつての支流だった場所が改修工事によって整備された地域にあたる。
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