1844年から現在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 01:35 UTC 版)
「ダラム・スクール」の記事における「1844年から現在」の解説
1844年、エドワード・エルダーが校長であった時に、ダラム大聖堂のパレス・グリーンから現在地に移転された。 そして、ダラム・スクールはその後も着実に規模を拡大していった。 1853年から1882年まで校長を務めたヘンリー・ホールデンは、新たな教室や寮、食堂、病室(後に療養所となる)、鐘楼や図書館を建設した。 1882年から1884年まで校長を務めたウィリアム・ファロンは今日まで続く三期制を導入し、校庭の拡張と屋外プールの建設を行った。また、1882年にはハットフィールドのカレッジ・ボート・ハウスからエルベット橋までの間の川辺に舗装した道を作っている。 1907年から1932年まで校長を務めたリチャード・バドワースの主導で大規模な拡張が行われた。彼の任期中、コートが5面追加され、新しい寄宿寮(現在では管理用の建屋になっている)やラングレー・ハウス、礼拝堂が建てられた。また、校庭や教室も新しくなり、プールハウス(屋内プール)、教練場、射撃場、カー・アーチ(Kerr Arch)も設けられた。このアーチはG. C. カー(Graham Campbell Kerr、ケンブリッジ大学ボート部員でラグビースコットランド代表、スーダンで最初の文民総督となった)を記念して校舎正門の前に建てられたもので、第二級指定建築物の指定も受けている。 1958年から1967年まで校長を務めたジョン・ブレットはクリケット場や食堂、工房、療養所を新設した 1972年から1982年まで校長を務めたマイケル・ヴァランスは11歳から13歳までの少年のためにフェレンス・ハウスと名付けられた寄宿寮(2003年に閉鎖)を設けた。しかし、最大の成果はバドワース・スポーツ・センターとルーチェ・シアターの建設である。 1982年に校長を務めたマイケル・ラングはシックス・フォーム(英語版)の女子にも門戸を開いた。また、バドワース・スポーツ・センターの近くに教室棟を建設した。 ニール・カーンはダラム・スクールを完全共学とし、マクロード・ハウス(MacLeod House、女子寮)を設置した。また、全天候型の運動場を礼拝堂の近くに建設した。 ダラム・スクールは1985年から男女共学となり、1996年にはダラム大聖堂の分会や学監からも独立した。
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