1189年時点でのケシクとは? わかりやすく解説

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1189年時点でのケシク(チンギス・カン最初のケシク)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:40 UTC 版)

ケシク」の記事における「1189年時点でのケシク(チンギス・カン最初ケシク)」の解説

職掌転写人名1(部族)人名2(部族)人名3(部族)人名4(部族)アカ(長) aqa ボオルチュ(アルラト) ジェルメ(ウリヤンハン) コルチ(箭筒士) qorči オゲレ・チェルビ(アルラト) カチウン(ジャライル) ジェデイ(マングト) ドゴルク・チェルビ(マングト) バウルチ(厨官) ba'urči オングル(バヤウト) スイケトゥ・チェルビ(コンゴタン) カダアン・ダルドルカン(タルクト) コニチ(牧羊官) qoniči デゲイ(ベスト) ユルドチ(木匠) moči/yürdči クチュグル(ベスト) ウルドゥチ(帯刀者) üldüči クビライ(バルラス) チルグテイ(スルドス) カラカイ・トクラウン(ジャライル) ジョチ・カサル(チンギス・カンの弟) アクタチ(厩官) aqtači ベルグテイ(チンギス・カンの弟) カラルダイ・トクラウン(ジャライル) アドゥーチ(牧馬官) adu'uči タイチウダイ(スルドス) クトゥ・モリチ ムルカルク(ジャジラト) イルチ(使者) elči アルカイ・カサル(ジャライル) タガイ(スルドス) スゲゲイ(スゲゲン) チャウルカン(ウリヤンハン) チンギス・カンは自らの勢力拡大させる過程絶対的な忠誠心を有さないキヤト氏の諸クリエンを信頼せず、あくまで自らに忠実なケシク(=第二翼)を拡大させる方針取ったチンギス・カンモンゴル・ウルス拡大するにつれて曽てケシクたちは一軍率い軍団長となっていき、1203年テムジン未だモンゴル服属しない最後の有力部族であるナイマン部討伐する当たって始めて千人隊制度ケシク制度原型制定した。この時チンギス・カン千人百人十人隊長の子弟から特に優秀な者を550人選抜し、「宿衛(kebte'ül)」を80人、「侍衛(turqa'ud)」を70人、「箭筒士(qorči)」を400設置し、これが後々まで続くケシク原型となった

※この「1189年時点でのケシク(チンギス・カン最初のケシク)」の解説は、「ケシク」の解説の一部です。
「1189年時点でのケシク(チンギス・カン最初のケシク)」を含む「ケシク」の記事については、「ケシク」の概要を参照ください。

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