チャウルカンとは? わかりやすく解説

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チャウルカン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 13:55 UTC 版)

チャウルカン(Ča'urqan, ? - ?)は、モンゴル帝国カチウン王家に仕えた千人隊長の一人で、ウリヤンハン部の出身。『元朝秘史』では察兀児罕(cháwùérhǎn)、察兀児孩(cháwùérhái)などと記され、後者の表記に従ってチャウルカイ(Ča'urqai)とも記述される。また、『聖武親征録』では抄児寒(chāoérhán)とも記される。


  1. ^ 村上1970,221頁
  2. ^ 村上1970,258-259頁
  3. ^ 村上1970,269頁
  4. ^ 村上1972,194-197頁
  5. ^ 『聖武親征録』「上遣使哈柳答児・抄児寒、二人往汪可汗所、假為上弟哈撒児語謂之曰『瞻望我兄遙遙勿及、逐揵沙徑、不知所従。近聞我妻子在王所、我今蔽木枕塊、藉壌仰星而臥、故雖有諸王苟従之、吾終帰王父也』。汪可汗因遣使亦禿児干、以煮漆器盛血与之盟。哈柳答児、抄児寒二使将亦禿児干来、上不与語、即送於哈撒児所。上因以二使為嚮導、領兵夜馳至徹徹児運都山、出其不意、破汪可汗軍、尽降克烈部衆」
  6. ^ 村上1972,343/374-375頁
  7. ^ 村上1976,107頁
  8. ^ 杉山2004,39頁
  9. ^ 海老沢1972,43-45頁


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