黒百合伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 10:05 UTC 版)
「早百合(さゆり)」と言う美しい側室がいたとされる。成政はこの早百合を深く寵愛してはばからず、早百合は懐妊する。それが嫉妬を呼んだか、ある時成政が城を留守にした時に、「早百合が密通している。お腹の中にいる子どもは成政様の子ではない」と言う噂が流れた。帰城した成政はこれを聞いて烈火の如く怒り、有無を言わさず早百合を神通川の川沿いまで引きずり、髪を逆手に取り宙に引き上げ、殺してしまった。それだけでなく、早百合の一族18人全ての首をはね、獄門に磔にしてしまう。早百合は死ぬとき、「己成政此の身は此処に斬罪せらるる共、怨恨は悪鬼と成り数年ならずして、汝が子孫を殺し尽し家名断絶せしむべし」(『絵本太閤記』)と叫んだ。また、早百合姫は「立山に黒百合の花が咲いたら、佐々家は滅亡する」と呪いの言葉を残して死んだとも言う(黒百合伝説)。佐々瑞雄(成政の甥である佐々直勝の子孫)によると、母に「わが家では、絶対ユリ科の花は活けてはいけません」と言われていたという 早百合が殺された神通川の辺りでは、風雨の夜、女の首と鬼火が出るといい、それを 「ぶらり火」と言った。その他にも無念の死を遂げた早百合にまつわるエピソードは数多く残されている。このエピソード以外にも、数多の真偽不明なエピソードが残されている。また、成政失脚の一端となったと言われる黒ユリ伝説がある。秀吉の正室・北ノ政所は珍花とされる黒ユリを成政から贈られ、披露のため茶会を開くと、淀殿は大量の黒ユリを急遽取り寄せ、珍しくもなんともないと言わんばかりに飾ってみせ、北ノ政所は恥をかかされたと成政を憎んだという。
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