鹿島萩麿とは? わかりやすく解説

鹿島萩麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 01:37 UTC 版)

鹿島 萩麿(かしま はぎまろ、1906年明治39年)4月21日 - 1932年昭和7年)8月26日)は、日本の元皇族華族山階宮菊麿王第四王子。母は菊麿王妃常子日本海軍軍人、最終階級は海軍大尉。旧名:萩麿王


注釈

  1. ^ 兄の藤麿王と同日付である

出典

  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
  2. ^ a b 『官報』第230号「叙任及辞令」、昭和2年10月3日(NDLJP:2956690/2
  3. ^ ジュトランド海戦史論 1934 p.1
  4. ^ a b 皇室皇族聖鑑(昭和篇) 1937 p.169(NDLJP:1206852/197
  5. ^ 昭和3年宮内省告示第14号(『官報』第470号、昭和3年7月21日)(NDLJP:2956931/2
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、37頁。
  7. ^ 『官報』第471号「帝国議会」、昭和3年7月23日(NDLJP:2956932/5
  8. ^ ジュトランド海戦史論 1934 p.3
  9. ^ 『官報』第1700号「彙報」、昭和7年8月29日(NDLJP:2958171/3
  10. ^ a b 皇室皇族聖鑑(昭和篇) 1937 p.170(NDLJP:1206852/198
  11. ^ 帝国学士院編『学術研究奨励資金及事業便覧 昭和10年度』帝国学士院、1934年。全国書誌番号:47009877 NDLJP:1138733/13


「鹿島萩麿」の続きの解説一覧

鹿島萩麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/06 06:54 UTC 版)

山階宮」の記事における「鹿島萩麿」の解説

詳細は「鹿島萩麿」を参照 菊麿王の四男萩麿王1928年昭和3年臣籍降下伯爵鹿島萩麿となるが、1932年死去海軍大尉

※この「鹿島萩麿」の解説は、「山階宮」の解説の一部です。
「鹿島萩麿」を含む「山階宮」の記事については、「山階宮」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「鹿島萩麿」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿島萩麿」の関連用語

鹿島萩麿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿島萩麿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿島萩麿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの山階宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS