高麗の軍事制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/27 22:59 UTC 版)
高麗では武官制度として二軍と六衛を置いた。二軍は鷹様軍と龍虎軍、六衛は左右衛、神虎衛、興威衛、金吾衛、千牛衛、監門衛である。各軍と衛の下には領(部隊)が所属した。領は1000名の正規軍と600名の予備兵で構成され、合わせて45領があった。また軍と衛にはそれぞれ上将軍と大将軍(上将軍の下)1名ずつがいて、指揮する領の数によって領ごとに将軍(大将軍の下)1名と中郎将2名がいて、その下に郎将、別将、散員、尉、隊正などの軍官が配置された。 二軍六衛の上将軍8名と大将軍8名で重房を構成し、重房は軍の首脳部の会議機関だった。下級将校たちも会議機関があったがこれを校尉房と言った。全国のすべての軍隊は二軍六衛に所属するようにした。 この他に予備軍団として光軍と別武班があった。 光軍は定宗の時に契丹に備えるために30万人を選んだ予備軍団で、これを統括する機関を光軍司と言った。 別武班は粛宗の時に尹瓘(朝鮮語版)(いん・かん、ユン・クァン)の建議により女真に備えるため騎兵を中心に作った予備軍団である。全国の馬を持つ者はすべてここに編入させ神騎(騎兵)とし、20歳以上の男で科挙を受けない者はすべて神歩(歩兵)として編入し、僧侶たちも降魔軍を組織した。すなわち別武班は神騎と神歩で編成され、傍系として降魔軍がここに属した。別武班は正規軍と同じく四季を通して訓練を受けた。 戦時に出征する軍隊は五軍(場合によっては三軍になることもあった)で編成されたが、すなわち左軍・右軍・中軍・前軍・後軍である。五軍が出征するときには行営都統使(または行営兵馬使、国初には大番兵馬使)が総指揮したが、これらは重臣の中から任命された。
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