高麗丸
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高麗丸(こままる[3])は、鉄道省の関釜航路・稚泊航路の鉄道連絡船。高麗丸型の第1船である。姉妹船には新羅丸がある。後に民間に売却され、満州丸として北鮮航路へ就航している。
- ^ a b c d e f g h i “高麗丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月22日閲覧。
- ^ Mansyu_Maru_class
- ^ 『稚泊連絡船史』79ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』79-80ページ
- ^ 『稚泊連絡船史』80ページ
- ^ a b c 『稚泊連絡船史』83ページ
- ^ 『北日本汽船株式會社二十五年史』284ページ
- ^ 第二復員局残務処理部 『海軍指定船名簿』 1952年4月作成、JACAR Ref.C08050092000、画像18枚目。
- ^ Cressman, Robert J. The Official Chronology of the US Navy in World War II, Annapolis: MD, Naval Institute Press, 1999, p. 536.
- ^ 『官報』第136号、大正2年月15日。
- ^ a b 『官報』第254号、大正2年6月5日。
高麗丸
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「大神伝 〜小さき太陽〜」の記事における「高麗丸」の解説
9カ月前すなわち前作と同じ時間軸に登場する貿易船。両島原に寄港する直前に水龍が襲撃したため沈没した。前作の両島原南に座礁している船であり、沈没までの経緯が語られている。
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高麗丸
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関釜航路から転属、1931年6月2日就航。1932年10月31日終航、売却。
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