フェリーとしまとは? わかりやすく解説

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フェリーとしま

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 01:38 UTC 版)

フェリーとしまは、鹿児島県鹿児島郡十島村が運航していたフェリー鹿児島港鹿児島市)からトカラ列島の各島を経由し、奄美大島名瀬港奄美市)を結んだ。十島航路の運航は2018年4月よりフェリーとしま2に引き継がれた。


  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 船の科学 53(9)(623)、8ページ
  2. ^ NHKにっぽんの現場 南洋トカラ航路 第一次航」(2007年5月17日放送)より。
  3. ^ a b 前橋、p.203
  4. ^ イカロス出版「日本全国たのしい船旅2」32P
  5. ^ 前橋、p.237
  6. ^ 1927年(昭和2年)のお召し艦「山城古仁屋寄港という「重大なニュース」が村民にもたらされていなかった件は情報格差の一例として認知されることとなり、鹿児島県議会でも採りあげられた。(前橋、p.238)
  7. ^ 航路は以下のとおり(太字は「「四カ島線」も寄港)。鹿児島港 - 竹島 - 硫黄島 - 黒島 - 口之島 - 中之島 - 臥蛇島 - 平島 - 諏訪之瀬島 - 悪石島 - 宝島 - 名瀬港
  8. ^ もともと村有資産であった「金十丸」も返還される手筈だったが、アメリカ政府の委託を受けて運航を行っていた奄美商船が、船員の「給与前借り金」とされる負債の処理がなされないうちは船を引き渡さないと通告したため、船員が自主的に船を鹿児島港に入港させた事件。なお、この「事件」の首謀者は三島村村長(当時。戦後の施政権分割に伴い、北側は三島村として独立した)の安永幸内であったとされる。(前橋、p.293-303)
  9. ^ 302総トン。三菱造船下関造船所建造。なお、後に就航船が「第二三幸丸」(102トン)に変更された。(前橋、p.334,348)
  10. ^ 日本の島ガイド[SHIMADAS]第2版 - 財団法人日本離島センター(2004年7月31日)p.1094
  11. ^ 十島村へのアクセス(十島村公式サイト、下記参照)より。


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