高校野球の指導者へ転身
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「阿井英二郎」の記事における「高校野球の指導者へ転身」の解説
現役引退後は、医療機器メーカーのアトムメディカルに勤務。その一方で、自分の経験を基に高校野球での故障を減らす目的で、日本大学文理学部史学専攻の通信教育部に通って教員免許の取得を目指した。伊古田純道の生涯をテーマとした卒業論文を提出して教員免許も得たが、教育実習などを通じて教師の仕事にやりがいを感じるようになり、1997年4月に野球部のないつくば秀英高等学校の地理歴史科教員として着任した。 生徒の立ち上げた野球同好会が1999年4月に野球部となるのをきっかけに指導を依頼され、元プロ野球選手がアマチュア指導者になる際に必要な教諭経験に関する高野連の規定が従来の5年間から2年間に短縮された事を受け、4月1日に通算9人目のアマ指導資格を認定されている。当初は専用グラウンドがないためつくば市の野球場で練習し、硬式球が禁止されていたためシャトルコックを用いた打撃練習などを行なっていた。選手の体調を第一に配慮しながら、戦術論などを丁寧に説明することを心がけたという。 チームは着実に力をつけ、3年目の2001年には夏の県大会で鴨志田貴司を擁する水戸短大付を破って初のベスト8に進出している。一方でこの頃から全国大会出場に対する周囲の期待が高まり、自身もアマチュアは勝利至上主義ではないと考える一方で準決勝進出ができない事に悔しさを感じるなど葛藤を抱え、2004年をもって同校を離れた。2005年からは川越市にある川越東高等学校の地理歴史教諭となり、高校野球の指導を通じて生徒の成長に触れていたいとして野球部監督も務めている。2009年秋の県大会ではチームがベスト4に進出し、県高野連から21世紀枠の候補校として推薦された。
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