するがだい【駿河台】
駿河台
駿河台
駿河台
〒410-0015 静岡県沼津市駿河台
〒426-0077 静岡県藤枝市駿河台
駿河台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 03:44 UTC 版)
駿河台(するがだい)とは、日本の南関東にある台地の一つ。現在行政区画上では東京都千代田区北部にある[1]地形で地域。標高約17メートル[1]。
注釈
- ^ 隣接する神田小川町三丁目から三省堂書店神田本店にかけての界隈は、駿河台の高台から下ってきた所に当たるため「駿河台下」と呼ばれる。
- ^ 専修学校(専修大学の前身)は1880年に京橋で、明治法律学校(明治大学の前身)は1881年に有楽町で、英吉利法律学校(中央大学の前身)は1885年に神田錦町で、日本法律学校(日本大学の前身)は1889年に飯田町で開校した。
- ^ 東京高等商工学校は大学ではない。また、埼玉工業大学と駿河台との間に直接のつながりはない。
- ^ 1880年9月に駿河台北甲賀町で開校した東京法学社(法政大学の前身校のひとつ)は同年12月に神田区神田錦町に移転した。
- ^ 「法政大学」と改称した後は駿河台に校舎を構えたことはない。
- ^ 日本法律学校が駿河台に校舎を構えたことはない。
- ^ 中央大学は1926年(大正15年)まで錦町にあった[11]。
出典
- ^ a b kb-Brit.
- ^ 千代田区 町名由来板 (2014).
- ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 pp. 80-83)[リンク切れ]
- ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」(宮城県)[リンク切れ]
- ^ 『SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号』 (2012), p. 48-50.
- ^ 『J-BECレポート 2013 Vol.8』 (2013), p. 33.
- ^ 『緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012』 (2012).
- ^ a b 河岡 1909, p. 127(86/209コマ), 所謂私立大学の現状は、決して多大の尊敬を、払はれて居らぬと言ふ一事である。
- ^ a b 石橋 1985, p. 89, 私学出のものが、そのころの日本で、いかに冷遇されたかは、今日の私立大学の卒業生には、たぶん想像もできないことであろう。
- ^ 河岡 1909, p. 141(94/209コマ), 砲兵工廠の煤煙なびく、神田三崎町一番地=名も堂々たる日本大学は、その一隅にチヨツピリと置かれたるペンキ塗の建造物である。.
- ^ “中央大学のあゆみ”. 中央大学. 2020年8月14日閲覧。
- ^ 榛名 1933, p. 93(53/160コマ), 教授連の顔ぶれも、近頃でこそ新大学令によつて専任教授も置かねばならず、従って母校出身の新進学徒が相当勢威を張るやうになつて来たが、昔は帝大法学部教授連の出張所であり、判検事や弁護士試験委員の内職稼ぎのお顧客先きであつたものだ。.
- ^ “沿革 < (公財)総評会館について”. 連合会館. 公益財団法人総評会館. 2021年3月8日閲覧。
- ^ “東京YWCA会館”. officetar.jp. 株式会社スリースター. 2021年3月8日閲覧。
駿河台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/28 14:39 UTC 版)
パリのカルチエ・ラタンにちなみ、日本では大学が多く集まる東京都千代田区の駿河台周辺を、「日本のカルチエ・ラタン」「神田カルチエ・ラタン」と呼ぶことがある。
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