陸送のカヌーを降ろす春隣
作 者 | |
季 語 | |
季 節 | 冬 |
出 典 | |
前 書 | |
評 言 | 「春隣」という季語が、なんといきいき聞こえることだろう。 春を待つ日本人独特の心境を、季語「春隣」は端的に言い表している。バンダナとジーンズの若々しい青年であろうか、それともアウトドア派の熟年であろうか。水と光の揺らめき、芽吹き前の梢の線、早春の息吹の瑞瑞しさに惹かれる。「カヌー」という「物」が伝える 静と動、青春讃歌の17音である。 1982年発行の「野田知佑」著カヌー紀行文が思い出される。 彼が示した日本の清流はあれからどうなっているのであろうか。 作者瀬川紅司は、2012年刊行の句集『航海図』の後書きでこのように語っている。 軽い思いつきで俳句を始めた頃、西東三鬼先生から「モノに言わせなさい」と教えられた。それから30数年後、三橋敏雄先生から同じことを言われた。それから手探りの中で分ったことがあった。「モノ」の本質や姿形を見るのは眼球だけではないこと、そして継続は力だけでは成し得ないという事である。 八人が艇庫にもどる揚雲雀 卒業の日の自転車に油差す 夜汽車着き鉄の匂の雪落す 金春通り秋蝶の速さで行く 『月の河』 にこにこと来る闘病の毛糸帽 鳥帰る空スカラ座の非常口 『航海図』 いずれも「モノ」がはっきりと見え、明るさ、希望の中に味わい深さを感じるのである。 |
評 者 | |
備 考 |
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