あこう‐じけん〔アカウ‐〕【阿衡事件】
阿衡事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 21:38 UTC 版)
阿衡事件(あこうじけん)は、平安時代前期に藤原基経と宇多天皇の間で起こった政治紛争である。阿衡の紛議とも呼ばれる。先代の光孝天皇の時代のように引き続き政務を執るよう求めた詔勅を基経が形式的に辞退した後、天皇は改めて詔勅を下した。しかし基経は、詔勅中の「阿衡」の語は名ばかりで実権のない職を指すと抗議し、一切の公務の遂行を放棄した。天皇は二度目の詔勅を撤回するなど対応に苦慮したが、最終的には妥協が成立した。
注釈
出典
- ^ 古藤真平 2011, p. 359.
- ^ a b c d e 古藤真平 2011, p. 356.
- ^ a b 瀧浪貞子 2001, p. 47.
- ^ 瀧浪貞子 2001, p. 39.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 132.
- ^ 池田晃淵『平安朝史』早稲田大学出版部、1906年 p.258、国立国会図書館デジタルコレクション影印 135コマ目。しかし典拠は不明である。
- ^ a b c d 古藤真平 2011, p. 357.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 116.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 116-117.
- ^ 古藤真平 2011, p. 357、363.
- ^ 古藤真平 2011, p. 357-358.
- ^ a b c 古藤真平 2011, p. 358.
- ^ a b 滝川幸司 2019, p. 125.
- ^ a b 瀧浪貞子 2001, p. 49.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 85-87.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 88.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 119.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 118.
- ^ 『奉昭宣公書 菅丞相讃州刺史時』日本古典文学大系 72 川口久雄 校注『菅家文草 菅家後集』岩波書店、1966年 p.622 に附載)
- ^ 滝川幸司 2019, p. 127-128.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 126-127.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 127.
- ^ a b 古藤真平 2011, p. 373-374.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 133-134.
- ^ 滝川幸司 2019, p. 134.
- ^ 国立国会図書館デジタルコレクション 佐藤誠實博士(1839-1908)手校蔵本、阿波国文庫旧蔵 影印 93コマ。
- ^ 瀧浪貞子 2001, p. 48.
- ^ a b 滝川幸司 2019, p. 115.
- ^ a b 瀧浪貞子 2001, p. 46-50.
- ^ 佐々木宗雄「摂政制・関白制の成立」(『日本歴史』610号、1999年)
阿衡事件
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詳細は「阿衡事件」を参照 宇多は即位後間もない11月21日に、基経に再び関白としての役割を果たすよう勅書を送った。しかしこの手続きの際に左大弁橘広相の起草した「宜しく阿衡の任をもって卿の任とせよ」の文言に基経が立腹し、政務を拒んで自邸に引き籠もってしまう。翌年6月になって宇多はついに折れ、勅書を取り消した上に広相を解官せざるを得なかった。寛平3年(891年)1月に基経が死去するに及んで、宇多はようやく親政を開始することができた。なお宇多が勅願寺として仁和寺を建立したのは、この阿衡事件の最中の仁和4年のことである。
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