関係軍記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/17 14:51 UTC 版)
梶原正昭は永享の乱・結城合戦関係軍記を大きく「永享の乱を中心とした実録的なもの」と「結城合戦を中心とした潤色の多い物語的なもの」の2系統に分類した。『鎌倉持氏記』は前者の代表で、かつ永享の乱・結城合戦を描くすべての軍記の源流になったことが梶原やその後の佐藤陸の研究でほぼ確定的となっている。諸軍記は相互に影響しあっておりその関係性は未だ十分には明らかになっていないが、特に『鎌倉持氏記』に直接依拠、あるいは強い影響を受けたとされる軍記は以下の通りである。 『結城戦場記』 実録的軍記の代表である。詳細は『永享記』を参照。 『足利持氏滅亡記』 実録的軍記に分類される。内容は公方管領の不和から春王・安王の処刑後に乳人らが出家するところまでで、永享の乱の部分は『鎌倉持氏記』、結城合戦の部分は『結城戦場記』がもとになったとされる。かつては『鎌倉大草紙』の欠損した中巻に充てられていたが、現在は別書とされている。 『結城戦場別記』 物語的軍記の代表であり、さきがけである。内容は永享の乱の後の上杉憲実の出家から春王・安王の乳人の出家までで、『結城戦場記』や『永享記』との関わりも指摘されている。奥書には宝徳3年(1451年)8月に結城氏家老の水谷入道の日記を写したものとある。
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