開戦~ワジリスタン合意とは? わかりやすく解説

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開戦~ワジリスタン合意(2001年~2006年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:59 UTC 版)

ワジリスタン紛争」の記事における「開戦~ワジリスタン合意(2001年~2006年)」の解説

2001年12月、アフガニスタン・パキスタン国境地域アフガニスタン側でアル・カーイダ掃討作戦行っていた米軍呼応する形で、パキスタン側に逃れてきたアル・カーイダ待ち受けるべく、パキスタン軍独立以来初め部族地域進駐した。しかしアルカーイダターリバーン幹部ワジリスタンではなくバローチスタ-ン州の州都クエッタ集結していた。2003年10月パキスタン軍は南ワジリスタン出撃し、2004年2月から大規模な軍事作戦展開した2003年12月にはパルヴェーズ・ムシャラフ大統領狙った暗殺未遂事件発生した2004年3月16日南ワズィーリスターン管区英語版)の中心地ワナ英語版)にアルカーイダ幹部アイマン・ザワーヒリー潜伏している情報察知したパキスタン軍ワナ攻撃しターリバーンの間で激し戦闘起こったワナの戦い)。2004年4月パキスタン政府は南ワジリスタン3つの武装勢力和平協定結んだ。しかしこれらの協定戦闘停止には結びつかず、6月にはアメリカ軍攻撃参加し、ヘルファイアミサイルでアルカーイダターリバーン訓練キャンプ運営するネク・ムハンマド・ワズィール(英語版)を殺害している。ネク勢力バイトゥッラー・マフスード引き継ぎ戦闘続けた[要出典]。 2005年3月パキスタン軍地元部族和平合意し、地元部族外国人勢力立ち退かせるという約束をさせたが、約束はすぐに形骸化した。その後パキスタン軍逃亡した過激派追ってワジリスタン進撃したハリド・シェイク・モハメド2003年パキスタン軍によりラーワルピンディー逮捕)、アブー・ファラジュ・アッ=リービー(英語版)(2005年5月パキスタン軍によりペシャーワルの北にあるマルダーンで逮捕)、ハイサム・アル・イエメニ(2005年5月CIA無人攻撃機により殺害)、2005年12月アブ・ハムザ・ラビア(2005年5月CIA無人攻撃機により殺害)などアルカーイダナンバー3次々と逮捕殺害された[要出典]。2006年1月13日アメリカ軍アフガニスタン国境隣接するバージャウル管区英語版)のダーマドーラ(英語版)への空爆(ダーマドーラ空爆英語版))を開始した[要出典]。 2006年過激派側が体制立て直して軍に対す反撃始め、対ゲリラ戦用の装備所有していないパキスタン軍損害増大したパキスタン軍は85千人部隊動員し3年間で戦死432名・負傷1200名の激戦の末、800人のテロリスト殺害し1400人を逮捕したことに満足し2006年9月に北ワジリスタン和平合意結んだ。また2007年3月、バージャウルにおけるターリバーン指導者ファクリ・モハンマドen:Faqir_Mohammed)とも和平合意結んだ[要出典]。 北ワジリスタン合意は以下のような内容だった[要出典]。 パキスタン軍は、北ワズィーリスターン部族地域でのインフラ再構築援助する外国人武装勢力パキスタン領土使用出来ないターリバーンなどの武装勢力への支援容認されない。パキスタン軍は北ワズィーリスターン進駐し、監視にあたる。 パキスタン政府は、戦闘による犠牲者財産補償部族指導者に行う。 しかし連邦直轄部族地域ではアフガニスタンから逃れてきたターリバーン影響などにより、2004年頃から部族社会統制従わないイスラム原理主義思想を持つ過激派(パキスタン・ターリバーン)が育っており、イスラム的ではない住民部族長公開処刑にかけていた。また和平合意後にパキスタンからの越境攻撃倍増した一方パキスタン国民アメリカ合衆国無人攻撃機RQ-1 プレデター」による無断越境攻撃で被る民間人の被害反感募らせていた。

※この「開戦~ワジリスタン合意(2001年~2006年)」の解説は、「ワジリスタン紛争」の解説の一部です。
「開戦~ワジリスタン合意(2001年~2006年)」を含む「ワジリスタン紛争」の記事については、「ワジリスタン紛争」の概要を参照ください。

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