野田村
野田村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 03:29 UTC 版)
江戸時代、当地周辺は愛知郡野田村と称されていた。宮宿の助郷村で、一楊御厨に含まれる。野田村の集落は荒子川と西井筋の間に位置し、竹林が茂っていたという。『尾張徇行記』によれば、当時の野田村は農業を中心とする村で、兼業で筵や瓜の栽培も行い春日井郡下小田井村の市に売りに出していたという。人口が少なく労働力が不足していたため、周辺の前田村、中須村、打出村などから人手が来ていた。『寛政村々覚書』によれば、野田村は本田概高981石、家数61、人口318、馬27であった。 1889年(明治22年)に野田村は合併により御厨村大字野田となった。その後、荒子村大字野田を経て、1921年(大正10年)に名古屋市に編入された。編入と同時に大字野田は野田町と改称された。
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