迅衝隊の結成と進軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 04:03 UTC 版)
「甲州勝沼の戦い」の記事における「迅衝隊の結成と進軍」の解説
同1月13日、迅衝隊は土佐城下致道館より出陣。その直後、「讃岐高松、伊予松山両藩及び天領川之江征討」の勅を拝し「錦の御旗」を授けられた。一同は皇威を畏み、正式に官軍としての命を奉じ、また、いよいよ坂本龍馬、中岡慎太郎らの仇討ちができると喜び勇んで進軍した。迅衝隊が高松、松山に到着すると両藩は朝敵となることを恐れて一戦も交える事なく降伏した為、無血開城となるが、その最中も京都からは佐幕派の土佐藩士らの妨害から進軍を阻止する伝令が出された。しかし情報を得て川路、陸路の食い違いから、阻止派の動向を巧みにかわして京都への上洛を果たす。
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