輸入の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:24 UTC 版)
栗東トレーニングセンター所属の調教師である伊藤雄二は、競走馬発掘のために複数回アイルランドに渡っており、輸入に導いた1993年生まれのアラバンサ(父:エルグランセニョール)は、伊藤自身で管理して巴賞 (OP特別) 優勝やステイヤーズステークス(GII)2着などの成績を残していた。 1999年4月、伊藤はアラバンサを生産したバロンズタウンスタッドを再び訪れ、生後数か月のファインモーションと初めて対面し、これまでの管理馬を上回る能力があると評価し、伊藤はクールモアと掛け合った。クールモアが優秀な種牡馬を揃えることに注力し、牝馬を軽視する傾向にあったため、取引に応じ日本に渡ることが決定した。 北海道浦河郡浦河町の伏木田牧場は、1949年 (昭和24年)に生産した牝馬のタカハタが、朝日杯3歳ステークスなど32戦26勝。皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、優駿牝馬(オークス)2着となるなど活躍。繁殖牝馬としても、孫に1974年の東京障害特別を制したカシハタ、1975年の北海道3歳ステークスを制したカミイチという重賞優勝馬が産まれるなど、伏木田牧場の主軸牝系となっていた。多くの牧場が、その時々に流行している種牡馬に合う繁殖牝馬を、外国から盛んに導入していたものの、30年以上伏木田牧場は実施することなかった。活躍する生産馬が少なくなり、1986年の鳴尾記念(GII)を制したロンスパークを最後に重賞から遠のくなど、牧場にいるタカハタから分岐した主軸牝系は時代遅れになっていた。 アイルランドで伊藤が見出した2歳のファインモーションは、購入に際して1億円以上と高額に設定された。伊藤は伏木田に、将来の繁殖牝馬としての購入を持ち掛け、実物を見ることなく、ビデオと写真を確認してのみで購入を決意した。伏木田牧場会長の伏木田達男は、「いい時代はずっと続くわけじゃない。だから派手にやるな」という父の信条に応え続けていた。しかし達男は、ファインモーションを今後の基軸繁殖牝馬として考え「(繁殖牝馬として)いい種牡馬を配合していけば何頭かの産駒で元が取れる」と判断し、達男の長男で社長の達之は「(競走馬として)オープンまで行って重賞のひとつでも取ってくれるのなら、そんなに高い買い物でもない」という認識であった。
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