軍の採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 07:27 UTC 版)
主にオーストリアの兵員が第一次世界大戦中に用いており、オーストリア=ハンガリーのハプスブルグ帝国士官が特に採用していた。また、第一次世界大戦中のドイツ帝国士官にも使われた。 ドイツ帝国陸軍のために生産された拳銃には、銃右側の薬莢蹴出口の上に受領時の刻印がついている。同様にCrown Nの一般的な商標刻印が、フレーム左側面とトリガー付近のスライドにつけられている。 第二次世界大戦中、この銃はドイツ国防軍の兵員、特に士官に使われた例が見られる。戦争末期には国民擲弾兵や国民突撃隊のためにこの拳銃が多量にあてがわれた。後者には、いわゆる「last-ditch(土壇場)」としばしば呼ばれたプレストフ製ホルスターが付属していた。これらは国に帰還する軍人たちによってアメリカへ大量に持ち帰られ、今日ではアメリカ国内で銃としての価値を示している。一般的に、紙でできているプレストフ製ホルスターは現存していない。 1921年及び1922年には、チェコ陸軍によって数千丁が購入されている。ただし1923年には詳細不明の事件により軍用から外されている。 1912年、教皇を守るバチカンのスイス衛兵が、士官と下士官用にこの拳銃を30丁必要とした。これらはSIG P225拳銃、スイスではP75と呼ばれる製品に代替される1980年まで就役し続けた。 第二次世界大戦中、この拳銃はノルウェーのレジスタンスのもとにたどりついた。かなり多数の本拳銃が自作のステンガンや非合法な無線機と共に保有され、ノルウェーのレジスタンス活動家やその同志の家屋の壁に隠されているのが発見された。 ドライゼ拳銃を用いたノルウェーでの作戦は何も記録されていない。これらの拳銃の詳細不明の「事故」については、ヒンジとなっている上部構造を固定する、後部のラッチがゆるんでいる可能性がある。もしこれが起こると、撃針が前方へ押し出されるかもしれず、薬莢を発火させる。ある市民の事故が80年代に起きており、後部ラッチが緩んだ結果、射手は自分の足を7.65mm弾で撃ち抜いた。
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