赤城信仰での位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 14:28 UTC 版)
「二宮赤城神社」の記事における「赤城信仰での位置づけ」の解説
「赤城神社#歴史」も参照 「赤城神社」を称する神社は群馬県を中心として数多く存在する。それらの大元とされる『延喜式神名帳』記載の名神大社の比定を巡って三夜沢赤城神社・大洞赤城神社・二宮赤城神社の間で議論がなされてきたが、決着はついていない。 当社は赤城山麓に位置し、東北方には4基の前方後円墳からなる大室古墳群が残っており、赤城神と関係の深い上毛野氏の中心地と推測される。また、数多い赤城神社のなかでも唯一「二宮」を称するのが特徴である。そのため、一宮・二宮が制定された頃は当社が中心となっていたと見られ、遅くとも鎌倉時代には当社は里宮として赤城信仰の中心をなしていたと推測される。 現在の赤城信仰の中心は山腹の三夜沢にあるが、三夜沢と当社との関係は深く、4月・11月の年2回両社間での神輿の渡御がある。三夜沢にある古代祭祀遺跡の「櫃石」は当社の真北に位置しており、それとの関係も指摘される。なお、三夜沢と当社との間には近戸神社数社が鎮座する。この「近戸」は「本社の社領域の入り口」を意味するとされ、神輿渡御の際に休憩した地として月田・深津の近戸神社があったという。
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