財宝伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 17:59 UTC 版)
「オプテンノール (船)」の記事における「財宝伝説」の解説
オプテンノールについて、「自沈時に多量の貴金属などを搭載していた」との説が一部でとなえられ、数度に渡ってトレジャーハンターによる沈船調査の対象となった。この説によれば、「日本軍がオランダ領東インドで『略奪』した金250トンやプラチナ70トン、各国の金貨、宝飾品500トン以上、バラスト代わりの錫3千トンなどが、戦争犯罪の証拠隠滅のためにオプテンノールとともに沈められた」とされる。 1978年(昭和53年)から翌年にかけて、元軍令部嘱託を称する人物が代表者を務める海洋興発が遺骨収集事業の名目で潜水調査を行ったが、財宝は発見できなかった。1982年(昭和57年)には日本船舶振興会のダミー会社でナヒーモフ号財宝の探査にも関わった世界技術開発センターが、大蔵省の許可の下で調査を行いダイヤモンド入りと伝えられる大型金庫を回収したものの、実際の中身は空の桐箱であった。その後、1993年(平成5年)などにもイギリス人実業家などによる調査が行われているが、財宝は見つかっていない。 三神國隆は、オプテンノールの財宝伝説は実在する隠匿物資の所在をごまかすために流された捏造情報だった可能性を指摘している。 2017年には海底の残骸が発見され、これに基づいてNHKがドキュメンタリー番組『追跡、巨大沈没船』を制作放映した。
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