誤謬
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論理学における誤謬(ごびゅう、英: fallacy[注 1])とは、誤った推論のことである。平易には「論理の飛躍」などと表現される。誤謬には「形式的」なものと「非形式的」なものがある。論理学やその周辺分野では、結論の正否を問わず「誤謬」という。意図的な誤謬は「詭弁」という。
注釈
- ^ 荒木 (1922) は、「Fallacyの訳語は色々ある、似而非推論、誤謬、謬論、過誤論、論過、謬見、不正論、謬見、相似、虚偽等であってまちまちである、適当な訳語に苦んでいるように思われる、著者は「曲論」と訳した。」と述べる[1]。この他に、心理学用語等では「錯誤」とも訳されるが、この二字はerrorの訳語にも当てられるので紛らわしく、その点は「誤謬」や単に「誤り」とする訳し方も同じ問題がある。最も早く且つ最も普及した訳語は「虚偽」であり、井上哲次郎編『哲学字彙』(1881年)34ページに掲げられ、以来、文部省『学術用語集 論理学編』(大日本図書、1965年)で「虚偽」に統一され、『哲学事典』(平凡社、1971年)に「虚偽」で、『岩波 哲学・思想事典』(岩波書店、1998年)には「虚偽論」で立項されている。
- ^ たとえばパスツールは生物の自然発生説を打ち破ったが、これから「いついかなるときでも無生物から生物は発生しない」とするならばそれは誤りである。地球上のある時期には無生物から生物が発生したからである。またニュートン力学は真理であるといっても、それは量子力学や相対性理論の領域まで真理であるのではない。これらの理論はその適用範囲を超えて用いられるならたちまち誤謬となる[6]。
- ^ たとえば光は波と粒子の性質を持つとされるが、光は波動であるとすればそれは誤りであり、粒子であるとしても誤りである。両者を折衷しても問題は解決しない[9]。
出典
論理誤謬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/11 09:56 UTC 版)
ELIZA効果は、以下のような後件肯定の論理誤謬の特殊ケースである。 X によって動機付けされると、それは Y の振る舞いを示す。 このプログラムは Y の振る舞いを示している。 従って、このプログラムは X によって動機付けされている。 プログラムが X によって動機付けされているとしても、観測された振る舞い Y が X という動機から発したかどうかは不明である。さらにいえば、そのプログラムが X によって動機付けされているかどうかを示すことは不可能である。多くの場合、プログラムの動機付けという考え方自体がありえない。 ELIZA効果は、擬人観よりも論理誤謬の程度は少ない。ユーザーはそのコンピュータが人間でないことを知っているし、完全な人工知能でないこともわかっている。それにもかかわらず、ユーザーはシステムの振る舞いが人間の振る舞いに似ているとき、同じ原因があると暗黙のうちに仮定する。しかし、コンピュータは人間のような感情を持たないため、この仮定は誤りである。プログラマはユーザーが仮定するような動機付けをしようと考えていたかもしれないが、それをプログラムの反応だけから推論することはできない。プログラムの振る舞いは予期しない副作用である可能性もある。 コンピュータがそのような仮定されたような形で動機付けされることがないとユーザーが理解した時点で ELIZA効果は解消される。
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