計算教具の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:32 UTC 版)
田籠松三郎は1865年(慶応元年)に福岡県の農家の三男として生まれた。1883年(明治16年)に浮羽郡の小学校教師となった。教師となって10年過ぎたころ「実物算数教授機械」という教具を開発した。これは当時日本に紹介されていたペスタロッチの「数に対応した実物や模型などを示しながら直観的に教える」というという考え に基づくものだった。 田籠の作った教具は当時の官立高等師範学校(のちの東京高等師範学校)の「教育博物館」に展示されるほどの評価を受け、教具の使用法の出版計画まであったが、全く普及せず出版も頓挫したという。田籠は次第にペスタロッチの開発主義的教授法から離れて、数についての基礎的な理論や数量的なイメージを大事にした新しい教具の開発に力を注ぐようになった。田籠は「数とは何者なるか」や「数と名付く原理」、「基数の本性」を吟味し、「数の関係」を調査し、「数の自然系統」「数の表象と数図」について研究したと述べている。
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