衰退と発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 07:17 UTC 版)
本遍路霊場も、昭和30年代にはほかの多くの島四国と同様、衰退の途にあったが、その衰運を止め、逆に興隆に向かわせた契機は2つある。1つ目は、1968年(昭和43年)9月、香川県坂出市沖の番の洲が埋め立てられ、番の州臨海工業団地(番の州コンビナート)が誕生し、それまで島であった瀬居島と沙弥島が四国と陸続きになったことである。1982年12月西浦集落の山の中腹にある本遍路霊場の中心、弘法大師堂も新築再建された。2つ目は1988年4月10日、瀬戸大橋が開通したことである。同日の開通式には当時の総理大臣や皇太子夫妻(現在の天皇皇后両陛下)らが臨席し、盛大に祝賀会が行われた。番の州コンビナートの誕生と瀬戸大橋の開通というこの二つの大きな出来事を契機に、観光客や参拝客が増え、さびれかけていた本遍路霊場は大きく発展していった。「島遍路」として毎年2千人以上の人が訪れるという。「島遍路お疲れさま/中学生お菓子で接待」(四国新聞2010年5月5日付朝刊より)
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