著名な番組出演者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:57 UTC 版)
「WSM (AM)」の記事における「著名な番組出演者」の解説
ラルフ・エムリー: 1950年代後期から1970年代初頭、WSMの深夜番組の司会者を務めた。夜間は聴取可能地域が広がるため、アメリカ全土のリスナーが彼の番組を聴くことができた。カントリー史上、『グランド・オール・オープリー』と彼の番組がWSMの中心的役割を果たした。1980年代、エムリーはナッシュビル・ネットワークの『Nashville Now! 』の司会を務めたことで全米で有名になった。これ以前にもシンジケートのラジオやテレビでのカントリーのトーク番組、およびWSMV-TVで高視聴率の朝の長寿番組の司会を務めた。 パット・セイジャック: テレビ番組『ホイール・オブ・フォーチュン』の司会者として知られている。1970年代中期、WSMの午後の番組で司会を務めた。この頃、チャンネル4WSMV-TVのナレーターも務めていた。 ラリー・マンソン: 1950年代および1960年代、ナッシュビル・ヴォルズ、ヴァンダービルト大学コモドアズ男子バスケおよびフットボールのスポーツキャスターを務め、WSM-TVにも出演していた。彼はのちにジョージア大学ブルドッグスのフットボールのキャスターを長年務めたことで知られることになった。 グラント・ターナー(本名ジェシー・グランダーソン・ダーナー): 局と約50年間関わり、早朝のカントリー番組の司会も務め「『オープリー』司会者の長老」として知られていた。彼の番組は大変人気があり、1972年、NL&AIはテーマパークに「オープリーランドUSA」と名付けた。 テディ・バート: 『ウォーキング・クルー』などの番組に歌手として出演していたが、その後長年ナッシュビルのキャスターを務め、1960年代初頭、マンソンと共に午後の帰宅ラッシュ時間の番組の司会を務めた。1969年から1981年、ナッシュビル初の視聴者参加型トーク番組の司会を務めた。また1970年代、WSM-TVの『Noon Show 』で司会をし、1980年代初頭、短期間WKRN のニュース番組でアンカーを務め、1985年、WLAC のグループ・ディスカッション型トーク番組『ラウンドテーブル』を開始した。この番組は局を変えて20年間放送され続けた。 キース・ビルブリー: 1974年にナッシュビルに移住し、WSMに入社してWSM-FMのアナウンサー代行となり、その後FMとAM双方の常勤ディスク・ジョッキーとなった。長期に亘り、WSMで決まった時間に出演し、彼の声は聴取者に好評で、局の歴史において近年の象徴的声とされた。1982年、ビルブリーは『グランド・オール・オープリー』の司会を始めた。1985年、ナッシュビル・ネットワークが『オープリー』の一部を30分だけテレビ放送することになり、この放送で初めての司会者がまだ若かったビルブリーであった。2000年に『オープリー』のテレビ放送が終了するまで、ビルブリーは『オープリー』だけでなく前座的番組の『バックステージ・ライヴ』の司会も務めた。またWSMでも『オープリー』の前座的番組の司会を務めた。2009年、35年の経歴を終え引退した。
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