はん‐ちゅうえん【范仲淹】
范仲淹
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范 仲淹(はん ちゅうえん、端拱2年8月29日(989年10月1日)- 皇祐4年5月20日(1052年6月19日))は、中国の北宋の政治家・文人。字は希文。諡は文正。唐の同鳳閣鸞台平章事の范履冰の末裔にあたる。
- ^ a b 岳陽楼記『標準古典解釈. 漢文部 第2巻』塚本哲三 著 (有朋堂, 1944)
- ^ 国語教育の新しいパラダイム(IV 教育心理学と実践活動)鹿内信善 (日本教育心理学会, 2009-03-30) 教育心理学年報. 48
- ^ 岳陽楼の記(読み)がくようろうのきコトバンク
- ^ 実践倫理 宋名臣言行録野木將典、國士舘大學武徳紀要 巻14 、1998-03
- ^ 今関天彭、辛島驍『宋詩選』集英社〈漢詩大系 16〉、1966年、p.66
- ^ 第1トンネル入口日本遺産琵琶湖疏水
- ^ 第6話「温泉宿のまちにホテルが出現!~成島柳北も称賛した~」熱海市教育委員会 生涯学習課 網代公民館 歴史資料管理室、令和2年7月28日
范仲淹
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ウィキソースに岳陽楼記の原文があります。 范仲淹の『岳陽樓記』(岳陽楼の記)は、1044年(慶暦4年)に中央から岳州太守へ左遷された滕宗諒(中国語版)が、岳陽楼を修復した際、同年の進士だった范仲淹に作らせた文章である。『古文真宝』に収められ、名文として広く知られる。特に、末尾の一節から「先憂後楽」という語が生まれたことで著名。 …居廟堂之高,則憂其民;處江湖之遠,則憂其君。是進亦憂,退亦憂;然則何時而樂耶?其必曰:「先天下之憂而憂,後天下之樂而樂」乎!噫!微斯人,吾誰與歸!…朝廷の高い位にあるときは、おのれの民を憂い、人里離れた所に隠れ住むときは、わが主君のために憂う。進んで仕えていても憂い、退いて民間にいても憂うるのだ。とすればいつになれば楽しむのか。その人は必ず「天下の人の憂いに先立って憂い、天下の人の楽しみに後れて楽しむ」というであろう。ああ、そうした人がいなければ、私はいったい誰に帰依すればよいのか。 — 范仲淹『岳陽樓記』
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