英国人名事典とは? わかりやすく解説

英国人名事典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/06 02:16 UTC 版)

英国人名事典』(: Dictionary of National Biography; DNB)は、1885年に発行された、イギリスの歴史上著名な人物の人物録である。更新版の『オックスフォード英国人名事典』(: Oxford Dictionary of National Biography; ODNB[1][2]2004年9月23日に60巻で刊行され、現在ではオンラインで閲覧できる[3]


注釈

  1. ^ : "Allgemeine Deutsche Biographie". 訳題を付けるとすれば『ドイツ伝記全集』となる。
  2. ^ 英国人名事典の編集者一覧英語版を参照のこと。
  3. ^ : "from the earliest times to the year 1900"
  4. ^ 原文:"[The dictionary had] proved of inestimable service in elucidating the private annals of the British" [4]
  5. ^ : Bulletin of the Institute of Historical Research. ロンドン大学の Institute of Historical Research(=歴史研究所)で発行されている学術雑誌。現在は "Historical Research" との名称で発行されている。
  6. ^ 例としてダグラス・クーパーの項目が挙げられる[7]
  7. ^ アメリカ合衆国独立前に、英国が支配していた13の植民地。これらはアメリカの独立時に州となり、13独立州とも呼ばれる。
  8. ^ 「機能的には帝国の一部だったが、『英国固有の文化』とは言えない」(: They were functionally part of the Empire and not of "the indigenous culture")と導入部に記載がある[要出典]
  9. ^ 原文:"the two epochs in collaboration might produce something more useful for the future than either epoch on its own"[要出典]

出典

  1. ^ oupacjapanのツイート(81224513416728577)
  2. ^ oupjapan_book_brochure.pdf” (PDF). オックスフォード大学出版局. 2016年5月21日閲覧。
  3. ^ 紀伊國屋書店が提供するOxford Dictionary of National Biography Online”. 紀伊國屋書店. 2016年5月20日閲覧。
  4. ^ a b c d Gosse, Edmund William [in 英語] (1911). "Biography" . In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 3 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 954. ※DNBはこの記事の最終パラグラフに登場する。
  5. ^ a b "History of the Dictionary of National Biography". Oxford Dictionary of National Biography (英語). 2020年8月25日閲覧
  6. ^ University of London Institute of Historical Research (1966). Corrections and Additions to the Dictionary of National Biography, Cumulated from the Bulletin of the Institute of Historical Research Covering the Years 1923–1963. Boston: G. K. Hall. OCLC 496014268 
  7. ^ Lee, Sidney (1920) [1906]. "Cowper, Douglas". The Concise Dictionary of National Biography: from the beginnings up to 1911 being an epitome of the Main Work and its supplement 1901–1911 (英語) (second ed.). London: Smith, Elder. p. 288.
  8. ^ Stefan Collini (20 January 2005). "Our Island Story". London Review of Books. 2016年5月20日閲覧
  9. ^ Thorpe, Vanessa (6 March 2005). "At £7,500 for the set, you'd think they'd get their facts right". The Observer.
  10. ^ "Dartmouth Medal". Reference and User Services Association. 2016年5月21日閲覧
  11. ^ JAMES RAVEN, UNIVERSITY OF ESSEX. “The Oxford Dictionary of National Biography: Dictionary or Encyclopaedia?”. The Historical Journal英語版. 50, no. 4: 991–1006. http://journals.cambridge.org/action/displayAbstract?fromPage=online&aid=1411984 2016年5月21日閲覧。. 
  12. ^ "David Cannadine is the new Editor of the Oxford DNB". Oxford University Press. 1 October 2014. 2016年5月21日閲覧


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英国人名事典

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シドニー・リー」の記事における「英国人名事典」の解説

卒業直後はまず1882年秋より第5代ポーツマス伯爵アイザック・ニュートン・ウォロップの息子オリヴァー・ヘンリー・ウォロップ(英語版)(後の第8代ポーツマス伯爵)の家庭教師務めたが、ジェントルマンズ・マガジンへの寄稿ジェームズ・ハリウェル・フィリップス英語版)やフレデリック・ジェームズ・ファーニヴァル(英語版)の目に留まり、ファーニヴァルはリーに英国人名事典の副編集長募集応募するよう勧めた上、自身1882年11月スティーヴン手紙書いてリー紹介した。 英国人名事典の編集1882年秋にレズリー・スティーヴン編集長任命されるとともに始まり1883年1月事典含まれるべき、姓がAから始まる人物の一覧が出版されたほか、同1883年3月にはスティーヴンリー副編集長(assistant-editor)に任命した以降1889年12月までに21巻出版されたが、長年激務スティーヴンの健康が悪化したため、リー1890年初にスティーヴン共同編集長務めるようになり、1890年3月から1891年3月にかけて第22から26巻を出版した。このとき、ファーニヴァルはリーに「事典だけで精一杯だろうから、出版社にほかの本を書くことそそのかされないように。」と手紙忠告しリー実際に夜や週末でも長時間働いたスティーヴンの健康がその間にも好転しなかったため、彼は1891年春に編集長辞任リー単独編集長務めたその後スティーヴン回復して事典への寄稿再開したが、編集長復帰することはなく、リー1900年最終巻である第63巻が出版されるまで編集長務めたリー編集長務め傍ら事典数多く寄稿行い記事820件(合計で約1,370ページ3巻分)を書き上げたリーの姉エリザベス英語版)も寄稿したほか、1885年から1900年まで出版され63巻のうち、最も長い記事であるウィリアム・シェイクスピア記事49ページ)はリー書いたのである事典の出版1900年6月終了したことは宴会祝われるほどの大事になり、1900年5月ディナーパーティーではウェールズ公エドワード(後の国王エドワード7世)が出席したほどだった。このとき、リーエドワードから「シェイクスピアについて著作書いていると聞いてます。是非とも頑張ってくださいシェイクスピアは儲かるぞ」と言われたという逸話がある。 英国人名事典の初版出版した後、リー増補巻の編集とりかかった最初19世紀終わりまでに死去した人物含めると定めたが、1901年1月22日ヴィクトリア女王死去する計画変更して1901年1月22日までに死去した人物含めるようにした。リー自身ヴィクトリア女王記事寄稿したその後1903年事典縮約版を、1904年正誤表編集した1911年7月6日には騎士爵叙されており、このことを報じる官報ロンドン・ガゼットでは「英国人名事典の編集長」として紹介されている。 増補第2シリーズ1912年出版)の編集にも関わりリー自身第2シリーズ寄稿した記事としてエドワード7世記事挙げられる。このエドワード7世伝ではエドワード7世を「知性に欠く」(want of intellectual equipment)などと酷評していたため、王室家政官僚エドワード7世アレクサンドラ不興を買い、リー修正求められた。リー王室からの圧力受けた修正版の公表拒否したが、機密文書閲覧し上で新たな回想録執筆することに同意した。しかし、回想録完成をみないうちに第一次世界大戦勃発エドワード朝外交政策公表が憚られたため、執筆終戦まで中断され結局2巻からなる回想録出版されるのは1925年から1927年にかけてのこととなった

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