英国ラジオの黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:40 UTC 版)
「英国放送協会のラジオ放送」の記事における「英国ラジオの黎明期」の解説
1920年1月15日、英国郵政庁はグリエルモ・マルコーニが設立した無線機メーカー、マルコーニ無線電信会社の英国チェルムスフォードのニュー・ストリート工場の無線電話装置にラジオ放送の免許を与え、長波帯の波長2,500m(周波数120 kHz)の6 kWで定期放送がはじまった。 同年2月23日、15 kWの新型送信機による定時放送(11:00-11:30と20:00-20:30)が3月6日まで行われたあと、不定期放送に戻った。 同年6月15日にはオペラ歌手ネリー・メルバ夫人のライブ音楽放送が三カ国語で欧州大陸へ向けて放送され、注目を浴びた。これが世界初の国際放送である。 チェルムスフォードのラジオ放送は大西洋を越えカナダでも受信された。しかし同年秋、英国空軍の無線に混信を与えることが問題となり、英国におけるラジオ放送は封印されてしまった。 2年後、英国ラジオ放送の封印が解かれた。そのきっかけとなったのは、1920年11月2日にウェスティングハウス電機製造会社の技術者フランク・コンラッドにより、世界初の商業ラジオ局KDKAがスタートし、1921年頃になると米国でラジオ放送の人気が急騰したことだった。その評判が英国にも届くようになると、ラジオ放送の再開陳情が英国郵政庁に繰返された。 1922年2月14日、英国郵政庁はチェルムスフォード郊外のライトルのマルコーニ科学機器社MSIC(Marconi Scientific Instrument Company, Ltd.)にラジオ放送を許可し毎週火曜日に定時放送(19:35-20:00)がはじまった。英国郵政庁はライトルのラジオ局に呼出符号2MTを付与した。なお空軍無線に混信を与えないよう、周波数は中波帯の波長700m(周波数430 kHz)とし、電力は0.25 kW(250 W)に制限された。 1922年5月11日、マルコーニ科学機器社MSICはライトル2MTに次ぐ第二局をロンドンに開局し、火曜日と木曜日の夜に30分間の放送を始めた。英国郵政庁はこのラジオ局には呼出符号2LOを付与した。また5月16日にはマンチェスターのメトロポリタン・ヴィッカーズ社が英国郵政庁の許可を得て、呼出符号2ZYで試験放送をスタートさせている。
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