英仏合併計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 04:56 UTC 版)
彼がフランスとイギリスの合併を提案していたことが2007年にイギリス側の英国国立公文書館の公文書で判明した。 1956年にモレはイギリスを訪問したときに同国のアンソニー・イーデン首相に「フランスとイギリスの合併」を打診。しかし、イーデン首相はこの申し出を拒否した。 すると、モレは「イギリス連邦へのフランスの加盟」を提案した。彼は「フランス国民はエリザベス女王を君主に戴くことに抵抗はない」と言ったが、イーデンは「フランス国民が英国王を奉戴するのは難しいことを彼は理解できないようだ」と側近に語っている。 このモレの提案には当時のフランスの置かれていた状況が影響している。当時のフランスは、第二次世界大戦の戦勝国であったものの、実質的にはナチス・ドイツに敗北したという屈辱感に打ちひしがれていた。さらに戦後のスエズ動乱やインドシナ戦争、アルジェリア戦争に苦しめられ大国としての自信を失っていた。 モレはそんなフランスに対し、第2次世界大戦では戦勝国として活躍し、戦後は充実した福祉政策をしいていたイギリスに大変な憧れを持っていた。それが、『英仏合併計画』となって現れたと考えられる。
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