若狭国守護へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 08:07 UTC 版)
延元3年/暦応元年(1338年)正月23日の青野原の戦いにも加わり、南都(奈良)で高師直軍配下として桃井兄弟として史料に見え、顕家軍を破り、河内に敗走させた。この際、桃井兄弟の配下で合戦により討たれた兵を葬った、または陣地を桃井塚と呼ばれた。この同年に若狭守護となる。若狭国へ旅立つ前に延元4年/暦応2年(1339年)領地のあった武蔵国榛沢郡(深谷市)に赤城山多門院福應寺(別名福王寺)を朝恵僧都に開山をした。
※この「若狭国守護へ」の解説は、「桃井直常」の解説の一部です。
「若狭国守護へ」を含む「桃井直常」の記事については、「桃井直常」の概要を参照ください。
- 若狭国守護へのページへのリンク