若狭人を誇りに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:24 UTC 版)
先祖は、椙本正俊といわれ、祖母は梅田雲浜の従姉にあたる。父が京都へ移住したため、成三は京都で生まれたが、先祖代々の墓は小浜にあり、毎年墓参に訪れていた。東京大学入学と同時に郷土出身者の会である雲城会に入り、若狭人の自覚を持ち、若狭出身であることを生涯誇りとしていた。東大卒業後は内務省の官吏となり、兵庫県庁を振り出しに官界に身を置いたが、最高の事務次官にまで昇進したのは、若狭では成三一人である。官界を退いた後、政治家を志し、昭和27年、昭和38年の2回にわたって福井県から衆議院に立候補したが当選を果たせず、政治家として郷土のために活躍したいという夢を実現できなかった。
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