臨時脚気病調査会による食餌試験と食物調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:20 UTC 版)
「日本の脚気史」の記事における「臨時脚気病調査会による食餌試験と食物調査」の解説
都築に刺激されて調査会でも、1910年(明治43年)3月-10月と1911年(明治44年)6月〜翌年10月の2回にわたり、実地に食餌試験が行われた。しかし、試験方法に欠陥があり(試験委員5人の技量と判断に差があり、また副食が規定(コントロール)されていなかった)、食米と脚気発生の関係について、明確な結論を得られなかった。 他方、世界の脚気流行について現地調査をし、食物との関係も調査していた。特に東南アジアでの脚気研究は、「脚気は未知栄養物質の欠乏による欠乏性疾患」と結論される段階にまで進んでいた。 しかし日本では、依然として伝染病説と中毒説の勢いが強く、「未知栄養欠乏説」はなかなか受けいれられず、脚気の原因説を巡る混乱と葛藤が続いた。
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