肥前国風土記
肥前国風土記
肥前国風土記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 19:12 UTC 版)
また『肥前国風土記』には、同様に狭手彦(さでひこ)と領巾を振りながら別れた篠原(しぬはら/しのはら)の村の弟日姫子(おとひひめこ)という娘の話が収録されているが、この人物は佐用姫と同一視され、もう一つの佐用姫伝説とみなされている。 この「弟日(おとひ)」というのはあるいはその人物の名かもしれないが(『万葉集古義』等)特称である可能性があり、言葉としては、「弟」=「若い、ういういしい」から形成される語意とされる一方で、「年下の者」の意があるとも考察される。なお、風土記の記述文の挿入歌では彼女のことを「篠原の弟姫の子~」と称している。 弟日姫子の記載(『風土記』)には後日談があり、別れた後、狭手彦によく似た男が家に通うようになり、これが沼の蛇の化身であると正体がわかると沼に引き入れられ死んでしまうという話になっている。 『風土記』にはまた、姫が泣きながら歩いて狭手彦から贈られた鏡をうっかり落としてしまい、その場所が「鏡の渡り」として知られるようになったとする。
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