あやのつづみ【綾鼓】
綾の鼓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:58 UTC 版)
「綾の鼓」(あやのつづみ)は1951年(昭和26年)、雑誌『中央公論』1月号に掲載された。原典の『綾鼓』は、最後まで庭掃き老人の女御に対する恨みや執着があるが、三島は幕切れの華子の台詞に〈美女の奢りと気位〉を終結させて現代化し、〈このセリフを言ふときの華子は、恋愛が約束する全世界以上のものを期待してゐる。恋が捧げうるすべてのものの、そのもう一つ先が、華子は欲しい。この奢りの前に、岩吉の亡霊も、万斛の怨みを抱いて破れ去るほかない〉としている。 恋が障碍によつてますます募るものなら、老年こそ最大の障碍である筈だが、そもそも恋は青春の感情と考へられてゐるのであるから、老人の恋とは、恋の逆説である。私が「綾の鼓」に着目して、その近代化を企てたのは、かうした主題の面白味に惹かれたからである。そして老人は心の底深く恋の不可能を、諦念としてひそめてゐるが、恋された美女のはうは、いつかその諦念を打ちこはしてかからうとする。しかし老人には美女のそのやうな欲求が理解しがたい。愛される者の最高の驕慢が理解しがたい。この芝居の最後の一行の悲劇的離反の哀切さが、私の狙ひとするところであつた。 — 三島由紀夫「作者の言葉(「綾の鼓」)」
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