絶対王政の重要機関として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 01:37 UTC 版)
「星の間」はエドワード3世時代に作られ、そこで王政庁(後に国王評議会、枢密院に発展)などが置かれて国政を行い、民衆の苦情などを処理していた。行政機構が成長・複雑化するとしだいに行政/司法が分離され、15世紀にはもっぱら刑事裁判を行う場となっていた。 しかしそこに至る経緯は複雑で、1487年、ヘンリー7世が薔薇戦争の戦後処理を行う場として活用した組織は名前が似ている星室評議会で、この組織は国王評議会内部における司法機能組織で、分化・独立した訳では無い。開会場所も星の間と星室庁と同じ点が多く紛らわしいことから混同されがちだが、星室庁が整えられたと考えられる時期はヘンリー7世の息子ヘンリー8世の時代の1540年代とされる。 国王評議会から分離・組織された枢密院の司法機能が独自の組織として制度されたのが星室庁の始まりで、大法官トマス・ウルジー、トマス・クロムウェルらが星室庁の権限を強化した。構成員は枢密院とほとんど変わらなかったが、枢密顧問官改革の結果、以下のような特徴をもつ裁判所となり、国王の支配を維持する重要な機関となった。 あらゆる事件を扱うことができた。特にコモン・ロー(慣習的な法)では扱えない事件には星室庁が対応した。 死刑以外のあらゆる刑(鞭打ち、手足切断、投獄、罰金など)を課することができた。 コモン・ロー裁判所(王座裁判所など)と異なり、陪審員は不要であった。 貴族の専横などを裁くことができる唯一の裁判所であった。 これらの特徴から星室庁は評価が高く、コモン・ローの欠陥を補うエクイティ(衡平法)の確立を促した。
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