粟田家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 05:42 UTC 版)
江戸時代初期の阿波屋喜兵衛が祖で、会社組織として存続している。1964年(昭和39年)に十三代目が粟田建設を商号とし、1972年(昭和47年)に有限会社化と十四代目継承、2005年(平成17年)に株式会社化。2017年(平成29年)時点では、粟田純徳(すみのり)社長が「第十五代目穴太衆頭」として活動を行っている。 粟田家は坂本を門前町とする比叡山延暦寺の石積みの仕事を代々請け負ってきたほか、第二次世界大戦後は兵庫県の竹田城や篠山城、滋賀県の安土城や彦根城、さらに高知城、洲本城などの石垣修復を手掛けた。近年は文化財の修復にも競争入札が導入されて受注できない石垣修復も多いが、2010年にアメリカで実施したワークショップで野面積の頑丈さと芸術性が評価されて、ダラスのロレックス支社などでも施工するようになっている。 北垣聡一郎の『近江の石垣築成者 穴太衆』(昭和51年(1976年))によれば、粟田氏の話として、「先祖は阿波国から来た」と語っていたとしている。
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