第7の哨戒 1943年4月 - 5月
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「グレイバック (SS-208)」の記事における「第7の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説
4月25日、グレイバックは7回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。5月11日、グレイバックは付近にいたアルバコア (USS Albacore, SS-218) からの情報により、輸送船団の通過を知らされた。夜になり、グレイバックは北緯00度40分 東経148度55分 / 北緯0.667度 東経148.917度 / 0.667; 148.917のカビエン北西方で目指す輸送船団に接触。ラバウルからパラオに向かっていたR09船団は7隻の輸送船と3隻の護衛艦で構成されており、グレイバックは浮上して魚雷を6本発射。護衛艦が向かってきたので潜航を余儀なくされたが、魚雷は特設運送船(給炭油)淀川丸(東洋海運、6,450トン)に命中してこれを撃沈した。5月16日には南緯01度00分 東経148度44分 / 南緯1.000度 東経148.733度 / -1.000; 148.733の地点で4隻の輸送船で構成された輸送船団を発見し、魚雷を4本発射。魚雷は駆逐艦夕霧の艦首部に命中し、艦首折損の損害を受けた。翌17日にも北緯00度45分 東経148度30分 / 北緯0.750度 東経148.500度 / 0.750; 148.500の地点で陸軍船英蘭(いんぐらんど)丸(山下汽船、5,829トン)を撃沈した。5月30日、グレイバックは36日間の行動を終えて真珠湾に帰投。オーバーホールのためサンフランシスコのベスレヘム・スチールに回航された。オーバーホール中に、艦長がジョン・アンダーソン・ムーア少佐(アナポリス1932年組)に代わった。作業終了後、グレイバックは9月12日に真珠湾に到着した。
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