第7の哨戒 1943年4月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1943年4月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:20 UTC 版)

グレイバック (SS-208)」の記事における「第7の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説

4月25日グレイバック7回目哨戒ビスマルク諸島方面向かった5月11日グレイバック付近にいたアルバコア (USS Albacore, SS-218) からの情報により、輸送船団通過知らされた。夜になり、グレイバック北緯0040東経14855分 / 北緯0.667度 東経148.917度 / 0.667; 148.917のカビエン北西方目指す輸送船団接触ラバウルからパラオ向かっていたR09船団は7隻の輸送船と3隻の護衛艦構成されており、グレイバック浮上して魚雷を6本発射護衛艦向かってきたので潜航余儀なくされたが、魚雷特設運送船給炭油)淀川丸(東洋海運、6,450トン)に命中してこれを撃沈した5月16日には南緯0100東経14844分 / 南緯1.000度 東経148.733度 / -1.000; 148.733の地点で4隻の輸送船構成され輸送船団発見し魚雷を4本発射魚雷駆逐艦夕霧艦首部命中し艦首折損損害受けた。翌17日にも北緯0045分 東経14830分 / 北緯0.750度 東経148.500度 / 0.750; 148.500の地点陸軍英蘭いんぐらんど)丸(山下汽船、5,829トン)を撃沈した5月30日グレイバック36日間行動終えて真珠湾帰投オーバーホールのためサンフランシスコベスレヘム・スチール回航された。オーバーホール中に艦長がジョン・アンダーソン・ムーア少佐アナポリス1932年組)に代わった。作業終了後グレイバック9月12日真珠湾到着した

※この「第7の哨戒 1943年4月 - 5月」の解説は、「グレイバック (SS-208)」の解説の一部です。
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