第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月
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「タイルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説
9月10日、タイルフィッシュは3回目の哨戒で千島列島およびオホーツク海方面に向かった。哨戒は9メートルから12メートルほどの大波によって翻弄されたが、9月23日にトロール船を砲撃により撃沈。10月3日、タイルフィッシュは単冠湾に侵入して2隻の小型貨物船を攻撃した後、10月6日にもう2隻の船舶に対しても攻撃した。10月16日には、松輪島北北西5海里の地点で特設監視艇第弐共和丸(加藤文吉、108トン)を撃沈した。10月24日、タイルフィッシュは44日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 11月15日、タイルフィッシュは4回目の哨戒で千島列島方面に向かった。この哨戒でも前回と同様に悪天候に悩まされ、しばしば潜航して悪天候から逃れていた。オホーツク海に入った11月25日ごろには、雪が混じるようになり、正確な目標判別も困難となって哨戒行動は一段と厳しくなった。タイルフィッシュは哨区をはるか南に変更することとなり、野島埼灯台付近で艦船攻撃に加えて搭乗員の救助任務に就くこととなった。12月16日までには到着し、哨戒を再開させた。12月22日朝、タイルフィッシュは御前崎南方で水雷艇千鳥を発見し撃沈した。タイルフィッシュは千鳥を古鷹型重巡洋艦と判断していた。タイルフィッシュは反撃をかわした後、12月24日に哨区を去った。1945年1月2日、タイルフィッシュは48日間の行動を終えて真珠湾に帰投。潜水母艦オライオン (USS Orion, AS-18) による補修を受けた。艦長がワルター・F・シュルツ・ジュニア(アナポリス1936年組)に代わった。
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