第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月とは? わかりやすく解説

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第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:51 UTC 版)

タイルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説

9月10日、タイルフィッシュは3回目の哨戒千島列島およびオホーツク海方面向かった哨戒は9メートルから12メートルほどの大波によって翻弄されたが、9月23日トロール船砲撃により撃沈10月3日、タイルフィッシュは単冠湾侵入して2隻の小型貨物船攻撃した後、10月6日にもう2隻の船舶に対して攻撃した10月16日には、松輪島北北西5海里地点特設監視艇第弐共和丸(加藤文吉、108トン)を撃沈した10月24日、タイルフィッシュは44日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 11月15日、タイルフィッシュは4回目の哨戒千島列島方面向かった。この哨戒でも前回同様に悪天候悩まされ、しばしば潜航し悪天候から逃れていた。オホーツク海入った11月25日ごろには、混じるようになり、正確な目標判別も困難となって哨戒行動一段と厳しくなった。タイルフィッシュは哨区をはるか南に変更することとなり、野島埼灯台付近艦船攻撃加えて搭乗員救助任務に就くこととなった12月16日までには到着し哨戒再開させた。12月22日朝、タイルフィッシュは御前崎南方水雷艇千鳥発見し撃沈した。タイルフィッシュは千鳥古鷹型重巡洋艦判断していた。タイルフィッシュは反撃かわした後、12月24日に哨区を去った1945年1月2日、タイルフィッシュは48日間行動終えて真珠湾帰投潜水母艦オライオン (USS Orion, AS-18) による補修受けた艦長ワルター・F・シュルツ・ジュニア(アナポリス1936年組)に代わった。

※この「第3、第4の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説は、「タイルフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
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