第1計画案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 03:43 UTC 版)
上:「シェーンブルン宮殿」第1案(1688年)下:同時代の仏・ヴェルサイユ宮殿(1668年) 神聖ローマ帝国の往時の勢威を回復させたいという願望ゆえに、新しい宮殿には、神話や歴史からの陰喩を駆使する英雄的表現が期待された。設計を嘱託されたヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エルラッハは、パリのヴェルサイユ宮殿に対抗して、それを模しつつも凌駕する、壮大な宮殿を計画した。それは、神聖ローマ皇帝という存在はフランス王権を凌駕するものでなければならないと考える宮廷、領邦君主、貴族たちの願望の現れであった。 この計画によれば、現在グロリエッテのある丘陵を宮殿の建設場所とし、斜面北側をテラスにして、それをグロット[要リンク修正]をもつ擁壁で支えることになっていた。そして主庭園は斜面南側に展開されることになっていた。
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