第四次イタリア戦争
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第四次イタリア戦争(だいよじイタリアせんそう)は、イタリア戦争の一部である。
- ^ Potter 2008, pp. 30–37.
- ^ a b Mattingly 1955, p. 155.
- ^ a b c Bury 1902, pp. 72–73.
- 1 第四次イタリア戦争とは
- 2 第四次イタリア戦争の概要
- 3 参考文献
第四次イタリア戦争
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「イタリアの軍事史」の記事における「第四次イタリア戦争」の解説
条約締結で解放されたフランソワ1世は条約の無効を宣言した。その上で先の反省から今度はヴェネツィアだけでなくミラノ・教皇領を含めたイタリア諸侯、イングランドなど広範な勢力と反ハプスブルク同盟を結んだ(コニャック同盟)。 1527年、ハプスブルク軍はイタリア諸侯へ大軍勢を差し向け、これをフランス軍と同盟軍が迎え撃つ形となった。しかしコニャック同盟は上手く機能せず、ローマへ突入したハプスブルク軍はローマ劫掠(サッコ・ディ・ローマ)を引き起こした。翌年にはフランス軍によるナポリ王国領への反攻が試みられたがこれも失敗に終わり、フランス軍を見限ったイタリア諸侯はハプスブルク家との和睦を結び、またメディチ家はハプスブルク家の支援でフィレンツェの君主となった他、ジェノヴァも独立を回復した。 ほどなくフランスも形勢不利を認め、ハプスブルクに賠償金を支払って和解した。
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